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「感じること」と「わかること」の違い(1) [アート]

皆さん、こんにちは。
これから、いくつかのテーマでわたしの“芸術についての考え方を述べていきますヨー。

では、まず最初の今日は『芸術作品を観る方法について』です。
              
皆さんの中で、よく絵画を見て「この作品はわからない、いったい何をいいたいのだろうか」と言う人がいますネ。
こうしたことは特に抽象画を見たときによく聞かれます。
皆さんが本や雑誌に載っている絵を見たり、美術館へ行った時など、作品を見て一生懸命に何が描かれているのかを“理解”しようとするでしょう?
まじめな人は、その作品の解説が書かれたパンフレットや本を調べたりなんかして・・・

でも、ちょっと待って下さい。
そうした努力で、果たして本当にその作品が理解できるようになった事があるでしょうか?

「はい、私は世の中の有名な芸術作品のことはとてもよく理解しています」って言う凄い人がたまにはいるかもしれませんネー。
でも、たいていの人は、「なんとなくわかったような気がしました」、という程度でしょう?

どんな事でも理解したつもりになることは出来ます。
でも、それはどこまでも“つもり”であって、本当の理解とは程遠いものでしょう。
これは、絵画のようなアートだけではなく、人や物事すべてについて言える事です。

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            『漂流Ⅰ』

でも、どうぞご安心を・・・
アートに関して言うならば、あなたが美術評論家になろうとでもしない限り、芸術作品はわかろうとしなくてもいいのです。

          DSCN2448 80.JPG             

なぜなら、アートに触れるということは、自分をみつめることなのですからネ。
大切なことは、作品を観た時に、自分がどう感じたかが問題なのです。
その時に感じたことがあなた自身の中にある“何ものか”と言ってよいでしょう。
作者が何を表現しようとしたかなどは大した問題ではない。
そんなことはいくら考えたところで、誰も理解できるものではないと思います。

では、あなた自身の中にある“何ものか”っていったい何でしょう?
それは、ずばり、あなたの中に眠る隠された可能性なのです。

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実を言うと、私が作品を描く時、本当は何を表現したいのか私自身にもよくわからない時があります。

「えっ! じゃ~いったい何を考えて絵を描いているの?」っていわれるかもしれませんネー。

私が絵を描く時、ただどうしても“それ”を“その時”に“ここで”描かなければならない何かがあるから描くのです。
その意図などは後からの付け足しに過ぎないのかもしれません。
または、はっきりとしたテーマがあったとしても、それは心のほんの表層の部分がそう感じているだけであって、実はその背後には自分自身にも理解できない無意識の何かがあるから描いていると思ってます。

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            『太陽に向かって叫ぶ男』

心の奥底から沸き起こる“何か”がある、だから、それを作品として表現しているのです。

って言うと、
「へぇ~!隼雄さんって、毎日とても情熱的な生活を送っているんですネー。素敵っ!」
って思う人がいるかもしれません。
いえいえ、全然そんなことははなくて、普段の私はとても平凡な日々を送っているのでしたー!
心に何も沸き起こらなくても作品は創っていますからぁ~。

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      『母に甘える兄弟たち』

アートなんて、そんな大げさなものではないのです。
日常生活の中にアートがあるのですから。

ところで、意図的な作品は、一見きれいであっても上手に描かれてあっても、どこか迫力に欠け、人に感動を呼び起こすことは無いでしょう。
                                                                            
 つづく
          
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