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『チャーリー・ブラウン なぜなんだい?』 [アート]

今日は児童文学をご紹介しましょうね。

病気をテーマにした書物が世の中には無数に出版されています。
でも、それらは私たち大人の視点から見た病気であり医療なのであり、子供の目で見たものではありませんネ。
今日、この『チャーリー・ブラウン なぜなんだい?』を取り上げたいと思ったのは、この作品が子供にとっての病気と言うものはどういうものなのだろうか、または、子供にとっての死とはどのようなものなのかといったことを考えさせてくれる、ひとつのヒントになるのではないかと考えたからです。

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はたして、子供にとって、自分や親しい友達が重い病気にかかるということはどのような思いがするのでしょうか。
私自身のことを振り返って見ると、いったいいつ頃から病気の怖さを意識し始めたのかはっきりしません。
私は幼稚園に通っていたときに扁桃腺炎で手術入院をしたことがありますが、死に直面するほどの重病でなかったためか、そしてまだ幼かったためか、そのときにははっきりと病気の怖さを意識はしませんでした。
死というものを意識しはじめたのは、恐らく小学校低学年のときに叔母がまだ若くして病気で亡くなったときでしょう。
そのとき、訪れた病室で白い布が叔母の顔に掛けられてあったのを鮮明に覚えています。
この時、これが死というものなのだと感じたような記憶があります。

この『チャーリー・ブラウン なぜなんだい』では、ライナスとチャーリー・ブラウンがジャニスの突然の入院によって、病気、あるいは、死というものに向きあうことになります。

病気というものは、人の心をその“内面”に向かわせてくれるものなのでしょう。
そうしたところから発せられた疑問がライナスの「どうしてチャーリー・ブラウン。なぜなんだい?」という言葉なのではないでしょうか。

私たち大人と、子供との違いはいったいなんでしょうか?
それは、大人に比べて、子供と老人はより死(あの世)に近い存在だということです。
つまり、子供はあの世からやってきた存在であり、老人は近い将来あの世に逝かなければならない存在であるという意味で、死に近い存在だと考えられます。

そこで考えられる事は、子供にとっての“病気”、あるいは“死”はわれわれ大人が考えるそれとは自ずから違ったものになってくるのではないか、ということです。

児童文学は子供だけが読む子供だけのための読み物ではなく、それは子供の目を通してみた世界が描かれている文学だと思います。
そして子供の目は大人と違って常識に曇らされていないので、案外物事の本質を見抜いているのかもしれませんよ。

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       『Family』

絵画などの創作現場では、常に常識との戦いとも言えるでしょう。
常識に曇らされた自分をいかに突き破るか、と言うことです。
そうした戦いによって新しい創造が出来るわけですからネ。
かといって、単に奇をてらった変わったものを作ろうとしても、それが創作とはならないことも多いわけで、そこが難しいところです。

これは、何も芸術作品の創作現場だけのことではないでしょうね。
わたしたちは、普段の日常生活におきましても、何かに向き合うに当たって“子供の目”でもって物事を見ることが時には必要なのかもしれませんね。

この『チャーリー・ブラウン なぜなんだい?』は、人の病気や死、さらに“創作”という事についていろいろと考えさせられました。

          

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